東京風景 5

東京風景 -- かなりピンボケ
蔵前















 蔵前から浅草橋に向かう江戸通りと、少し裏道の界隈だ。

 店番の猫は、今はマンション猫となって、こうして店前で寝ている事はなくなってしまったようだ。この当時は、この子の姿を見たくて歩いた事もあった。
 この子は、いつも寝ているのだけれど、どっしりとした風格があった。寝ていてもあなどってはいけない、ちゃーんと店を守りつつ寝ているという風情があった。
 本当の店主については知らないが、心の中では、勝手にこの子を主人と呼んでいた。
 時々、動物が主人ではないかと思える店というものがある。猫が主人の店は時々見かけるが、鳥が主人の店もあった。肉屋さんだったが、鶏肉が旨かった。店の主人は、毎日鳥を散歩させていた。鳥が散歩好きなのだという話だった。
 その店は、鳥が死ぬと閉めてしまった。
 力が落ちてしまうのだ。そういう時、人というものは自分を支えきれなくなる。死に吸い込まれて、しぼんでしまう。そこを救うのは、あれやこれや日常の雑事かもしれないし、家族かもしれない。
 些細な、つまらない事が微細に喪失を埋め合わせる。人は、意外と小さな事に助けられる。

 古本屋の蔵前書房は、素晴らしいの一語につきる店で、前を通るとつい立ち寄って、本を探してしまう。
 確か、ブライアン・グリーンの『エレガントな宇宙』の古本を買ったのは蔵前書房で、また、おばあちゃんが元気だった。
 空間の十次元に時間次元を足して十一次元になるという事の概略がわかったのは、この本のおかげだった。
 蔵前書房は、十一次元の本を買いたくなる本屋さんだ。

 チャイニーズ・レストラン・パブは、店構えと欲張った名前に圧倒されて、つい写真に撮ってしまった。
 神聖ローマ帝国は、神聖でも、ローマでもないし、そもそも帝国ですらないと言われている。つまり、いいカメラマンなら、もっといい写真を撮ると思うが、こちらは良くもなく、そもそもカメラマンでもない。
 こういうお店を見ると、とても自由を感じる。こういう自由を写せるのは、写真というものの最大の美点だ。

 最後のは、真ん中から、垂れ下がる形で折れている建物がわかってもらえるだろうか?
 それでも、人というものは、その前で携帯電話で話が出来る。
 素晴らしい。ヨーロッパの大家ならば、教養の一部を動員して、長々とした一章をものするだろうが、面倒くさがり屋は、はちきれそうな一言ですませてしまう素晴らしさだ。




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