司法の深層 2 /ゼロイン・レポート

検察 vs 弁護士
弁護士たちの危機感

検察は、裁判員制度をいかに骨抜きにしたか
(第2回)

 目森一喜 on zero-in


 二〇〇六年末、山本至氏が保釈される事はなく、弁護士は塀の向こう側で年を越した。
 逮捕したまま年を越させ、精神的に追いつめるのは、よく行われる「手法」である。
 年が明け、平成十九年(二〇〇七)となった。一月三十一日に山本弁護士の保釈が決定した。
 山本弁護士が保釈された二月、山本事件が、三長官(法務大臣、検事総長、福岡高検検事長)届け出事件となった。これは、法務関係者が、この事件に大きな注目を寄せたという事である。
 裁判の方は公判も開かれず、表だった動きはなかった。だが、水面下では、熾烈極まりない戦いが繰り広げられていた。
 まず、そもそもの元となった松若裁判である。
 これが止まってしまった。
 宮崎地検側が、結審まで行った裁判なのだから、弁護士は判決申し渡しの立ち会いだけをすればいいと主張した。
 それに対し、弁護側は、新たに担当したのだから、必要な弁護活動をするとして、引かなかった。
 この論戦は、公判前整理手続の場で行われたが、激しい対立となり、なかなか決着がつかなかった。
 山本弁護士の裁判と松若裁判は表裏の関係となっているため、一方が止まってしまえば、もう一方も動きがとれない。
 両方とも、公判前整理手続を進めるだけで時間が過ぎて行った。

 ここで、公判前整理手続について簡単に説明しておこう。
 公判前整理手続というのは、裁判の前に、裁判所、検察、弁護士の三者が、証拠、証人、そして、裁判の流れを決める協議の事だ。裁判の迅速化を図るために、裁判員制度とともに導入が決まった。
 公判前整理手続は、単なる事務的なすりあわせではない。ここで弁護側と検察はたがいの手の内を明かしあい、裁判をどのように進めて行くかを決める。つまり、この段階で裁判のゆくえがかなり決まって来る、重要な手続きなのである。

 結局、松若裁判も行われる運びとなった。すでに夏となっていた。
 山本弁護士裁判は十月十一日に、宮崎地裁で開廷と決まった。
 山本弁護団は、三日前に宮崎入りし、マスコミ対策などの準備を始めた。
 だが、そこで宮崎地検は驚くべき手段に出た。
 裁判開廷の二日前の十月九日朝、山本弁護士が杉並の自宅で逮捕されたのである。
 最初の逮捕は、検察官が指揮したとは言うものの、宮崎県警による逮捕だった。しかし、裁判直前の逮捕は、直接、宮崎地検によるもので、逮捕するとすぐに空港に向かい、宮崎まで飛行機で身柄を連行した。まさに分刻みの逮捕劇であった。
 再逮捕の容疑は、東京麹町署の接見室で、担当していた被疑者に黙秘を求め、接見室の仕切りのアクリル板を叩いて脅迫したというものであった。
 この逮捕のおかげで、山本弁護士は、十一日の裁判に、手錠、腰縄の姿で出廷する事となった。
 しかも、九日の逮捕という事で、裁判前日の十日の報道は大々的なもので、これも、現地の新聞には、逮捕の記事だけでなく、事前にマスコミに写真を撮影させた、何やら怪しそうな光景と顔写真も掲載されていた。
 事件が東京の警察署内で起きたとされている事や、マスコミの使い方から見ても、再逮捕が、検察中央の指令によるものである事を伺わせた。
 また、再逮捕に続く捜索で、検察は、山本弁護士が使っていたパソコン二台を押収した。これには、山本弁護士と弁護団との、裁判に向けてのメールのやりとりや、山本弁護士が自ら作成していた裁判用の文書が保存されていた。検察は、パソコンの押収によって、これらを手に入れ、弁護団の手の内をすべて掌握したのである。
 事件は、松若裁判を超えて、検察対弁護士の対立構造に向かっていたが、事ここに至って対立は決定的となった。
 山本弁護団は、十一日の開廷に臨んで、のっけから窮地に立たされる事となった。しかし、その論陣は果敢だった。
 弁護団は、そもそもの容疑である、証拠隠滅について、有罪無罪と言う以前に、容疑そのものが、
「まったくの虚構」
 とし、再逮捕についても、
「脅迫の容疑もまったくの虚構である」
 と主張、さらに、
「検察による今回の一連の非違行為を白日の下にさらし、これを厳しく弾劾する所存である」
 と、検察と真っ向から対決する姿勢を示したのであった。
 裁判の後、弁護団が、現地、宮崎の弁護士会館で記者会見を開いた。その席上で、一人の弁護士から、
「私たちは、当番の時に、暴力団からの依頼だからと断る事はしないんです。真剣に弁護に取り組んで逮捕されてしまうのでは、弁護ができなくなる。この事件は、山本弁護士一人の問題ではなく、すべての弁護士の問題です」
 という発言があった。
 山本裁判の根本的問題点が集約された言葉だった。




第1回・司法の深層/ゼロイン・レポート