朝鮮半島情勢を巡るロシアの立場
末野由広
6月12日に実施された米朝首脳会談は、史上初の米朝首脳の接触という意味では、非常に意義のあるものであった。しかし、結果としては、トランプ大統領は従前からの立場であるCVID(完全で検証可能かつ不可逆的な非核化)はおろか、非核化に関する明確な言質はなんら引き出せなかった。そればかりか、米韓合同軍事演習の中断を決定し、果ては、在韓米軍撤退の可能性についてまで言及するなど批判されるべき点が多い。
少なくとも、首脳会談前日にポンペオ国務長官が「米国が受け入れられる唯一の立場はCVIDだ」と発言したり、マティス国防長官が首脳会談では在韓米軍に関する話は「しない」と語っていたことを考慮すると、期待と結果には強いコントラストを感じてしまう。
その一方、金正恩は、非核化に関して明確な言質を何ら与えないまま、米国から当面の体制保証を勝ち取った。これで、トランプの言う「協議が上手くいっている間」は、体制危機に直面することは回避できよう。
とはいえ、昨年までの軍事衝突の可能性の高まりを考えれば、首脳同士が直に接触し、例え一般的な原則であったとしても合意に至った点は、長期的な非核化プロセスの観点から見て必ずしも悲観的なものではない。第1ラウンドは、北朝鮮の優勢と言えようが、第2ラウンド、継続協議は既に始まっている。
さて、今回の米朝首脳会談を含めて直近の朝鮮半島情勢を見るに、米国と北朝鮮、そして中国がゲームの中心円に位置するとすれば、ロシアは、その一歩外側にいるということになるだろう。しかし、だからといって、ロシアがプレゼンスを十分に示せていないというわけでもないし、また、自らの国益を反映させる試みを行っていないというわけでもない。ロシアは、中国と共同歩調をとりつつも、露中共通あるいは独自の国益を反映させるべく陰日向に強い関与を続けている。今回の論考では、朝鮮半島情勢に対するロシアの立場に焦点を当てて、記述したい。
ロシアの朝鮮半島情勢に対する姿勢は、主に地政学的利益に現れている。さんざん指摘されていることであるが、ロシアにとっての北朝鮮は、極東方面における西側との緩衝地帯として重要な戦略的意義を有している。文字通り、ただ存在するだけでよい。そのためロシアは、北朝鮮の体制を転換するような、あるいは体制維持に深刻な影響を与える米国の軍事攻撃-例えそれが、核関連施設のみを標的とする選択的攻撃であろうとも、に対して反対の立場を堅持している。
言うまでもないが、ロシアの安全保障政策の根底には、常に対NATO、対米国戦略、というより両者に対する不信感が存在する。ソ連崩壊後の新生ロシア誕生時、ロシアには、NATOはもはや東方に拡大することはないとの米国の言葉を信じ、西側に対する淡く純粋な期待を膨らませた時期があった。しかし、その期待は、その後の際限のないNATOの東方拡大によっていとも簡単に裏切られることになった。しかも、90年代から00年代初頭にかけてのロシアは、経済的にも政治的にも混乱を極めていたため身動きが全くとれず為す術がなかった。これがロシア指導部にとって現在まで決して忘れ得ぬ悪夢として残り、今日のロシアの安全保障政策を決定する最も重要な動機となっている。これは、極東方面においても同様であり、このためにロシアは北朝鮮の現体制維持を第一としている。
米朝首脳会談直後、ロシアのラブロフ外相は「非核化や安全保障を含めて、(米朝)2国間で解決することはできないだろう」と述べているが、これは、ロシアが以前から唱えている6ケ国協議の再開の必要性を訴えたものだ。ロシアにとって6ケ国協議は、自らも当事者となり、非核化プロセスに直接に関与するためのものではなく、むしろ、多くの国家が関与することによって、北朝鮮の体制保障をより確固たるものにするという狙いの方が大きい。念頭にあるのは、リビアのカダフィ政権である。リビアは、核開発の放棄と引き替えに米国から体制保障を得たものの、後に倒された。(無論、確証はないが、ロシアにはその疑念が根強い)米国一国のみでは、いつ反故にされるかわからないという拭いがたい不信感が背景にある。
非核化については、ロシアは賛成の立場である。しかし、それは、単純に北朝鮮の片務的な核放棄を意味するものではなく、地域全体の緊張緩和のために、朝鮮半島全体の非核化を意味している。つまり、米国側にも当該地域からの戦力撤退を求めているのだ。当然日本も影響を受けよう。時期は分からないが、いずれかのタイミングで、北朝鮮の非核化プロセスおいて、日本のミサイル防衛システム、特に「イージス・アショア」の配備如何が議題に上がる可能性がある。日本のミサイル防衛システムは、少なくとも建前上は、北朝鮮からの核・ミサイルの脅威に対抗するためとしているからだ。重要なことは、それが「米国によるグローバルなミサイル防衛ネットワークの構築」と常々批判し、日本のミサイル防衛システム強化に反対するロシアの国防上の利益にも合致しているということだ。
また、6月22日の露韓首脳会談でも協議されたように、ロシアと南北朝鮮の経済協力が進みそうだ。現在のところ、朝鮮半島を縦断する天然ガスパイプラインや鉄道、送電網の構築といったプロジェクトが持ち上がっている。以前から議論されてきたプロジェクトであるが、南北関係や地域情勢の緊迫化によって停滞していた。未だ具体化はされておらず、あくまで研究段階に過ぎないが、その経済的合理性には疑問符がつく。ビジネスというよりもむしろ政治色の濃いプロジェクトとしか評価しようがない。しかし、とはいえ、これらの協力によって北朝鮮が経済的恩恵にあずかるのは確かだろうし、ガスや貨物が通過するだけでも少なくない額のトランジットを定期的に受け取ることができる。すなわち、経済発展を希求するも外貨獲得に困窮する北朝鮮にとって、体制維持の重要な手段の一つとなる。
今回の米朝首脳会談では、北朝鮮からの非核化の言質を引き出せなかったが、具体化に向けた協議の道筋はついた。ひとまず第1ラウンドは終わり、第2ラウンドが始まっている。ロシアとしても、米露や露朝といった首脳レベルの会談のみならず、水面下での様々なレベルでの関与強化が予想される。交渉プロセスは一層複雑化するのみだが、日本の動きも含めて注目したい。
●末野由広
研究者を目指す傍ら日露関係など日本周辺の安全保障をテーマに筆を執る物書きの端くれ。不定期で気ままに寄稿を続ける。趣味はバイクと写真。いつか“オンボロ”の愛車でユーラシア大陸を横断することを夢見る。
~~~